
6年間お世話になりました,母校日大理工学部建築学科での非常勤講師も,今日の授業を最後に任期終了となりました.今日は本来やるべきカリキュラムを,私のわがままで急遽変更し,学生へエールを送るようなお話しをさせて頂きました.
授業後,教室会議の終了を待っていたとおぼしき学生達に呼び止められ,寄せ書きを渡されました.突然のことにびっくり!なぜなら,この学生達は私のクラスの学生ではないからです.そのサプライズと学生達の優しさに,思わず感激して涙が出てしまいました.
また他にも,お小遣いで買ってくれたのであろう私の代名詞となっているエスキース帳や,お菓子やメッセージなどもいろいろ頂きました.最後に撮った写真は,私の大学最後の思い出になりそうです.どうもありがとう!
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他クラスの学生達からの寄せ書き-
思えば,これは私の非常勤講師としての6年間を象徴しているような気がします.
私のエスキース(設計指導)は毎回深夜にまで及んでいました.他を眺め回しても,毎回夜11時過ぎまで指導をしている非常勤講師など誰もいませんでしたので,私はよほど異例だったのだと思います.自分の担当クラスは決められた時間内に,それが終わると放課後のエスキースがはじまります.他のクラスから他学年の元教え子まで,夜が更けてもなかなか解放してもらえませんでした.
何より私がその時間が好きだったこともあります.授業を離れると,多少話が脱線しても時間を気にする必要がありません.設計の話はそこそこに,仕事の話や自分の学生の頃の話をしたり,学生の悩みの相談に乗ったりしているとあっという間に深夜に突入してゆくのでした.
色紙に寄せてくれたのは,そんな深夜エスキースの常連組だったり,ブログやSNS等で私のことをフォローしてくれている学生達であったり.私の何気ない一言が彼らの支えとなっていたことを知ったり,私の方が励みをもらったような気がします.

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大学での非常勤を振り返ると,楽しかった思い出と同じくらい,苦い思い出もいっぱいあります.そのほとんどは私自身の失敗です.学生の才能や個性をうまく引き出すことができず,凡庸な結果に終わったときなど,自分の指導の至らなさにいつも深く落ち込んでいました.
でもその中でも奮起して,講評会などで最優秀賞を取る学生が出てくると本当に嬉しくて,少しはまともな指導ができただろうかと救われる日もありました.(ただし,そんなことは本当に希なことです)
また毎回20人弱の学生を受け持つのですが,毎回クラスに1~2人くらいは,学年が変わっても変わらず私の指導を受けに来たり,事務所に遊びに来てくれる子もいて,そういう学生達とは「人として」のお付き合いを今なお続けさせてもらっています.それが私にとって何よりの財産となっています.
私は一度教えた学生は,ずっと自分の教え子だと思っています.他クラスであっても,私の指導を受けてくれた子は皆私の教え子です.設計ができる子ばかりではなく,中には放っておけない子もいます.たまにそういう子のことを思い出して,あの子は大丈夫だろうかとか,困っていないだろうかと,お節介にも連絡を取ったり励ましたりすることもありました.そういう意味では皆我が子のようでもありました.
今後も困ったことがあったり,相談したいことがあったらいつでも遊びに来て下さい.また課題のエスキースもやりますよ.ただ,こちらはあくまで趣味としてね笑
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最後に,大学では専任の佐藤慎也先生,そして山中新太郎先生に本当にお世話になりました.特に慎也先生には大学時代からのご縁もあり,経験も知名度も乏しい私を非常勤として引き立てて下さり,このような機会を与えてくださったことに心から感謝しています.そして山中先生とは後半の3~4年ほどをご一緒させて頂きましたが,切れ味鋭い講評や仕切りにいつも感心させられることばかりで,ひそかに尊敬していました.
また第一線で活躍されている建築家の先生方とのお付き合いや講評会の席は,刺激に溢れ,いつも身が引き締まる思いでした.皆さま最後までご指導頂きありがとうございました.
学生の皆さん,またどこかでお会いしましょう!
皆さんの活躍が,風の便りで届く日を楽しみにしています.

