13. 07 / 25

にんげんだもの

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sekimoto

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> 思うこと


現場監理は間違い探し.で,間違いは適切な時期に探してあげないと,のちのち致命的なことになる.最悪なのは竣工検査の段階になって間違いに気づくというパターンで,そうなるとどうしようもなくなることも多い.

今日はスタッフに任せて現場はパスしようと思っていたのだけれど,やっぱり行って良かった.今この時期に指摘しないと手遅れになる食い違いを,まとめて発見することができた.

でも,これはけして大工の手落ちではない.ミスという意味では手落ちなのだけれど,ミスをしない人間なんていないわけで,ミスをいかに未然に防げるかという部分に我々の図面密度の部分がかかっているといつも思う.

ということで近年の我々の図面は現場ミスの回避という使命を帯びて,その密度は年々上がる一方.びっしり描き込まれた図面には,最初から細かい施工指示レベルの記載があるので,現場には大変喜ばれるのだけれど,あまりに細かすぎて現場も見落とすほど.だから責められないのだ.

我々は常に完璧を目指しているのだけれど,未だに満点を取ることができない.なぜなら人間はミスをするからだ.でもある意味,人間が生活する容れものとしては90点くらいでちょうど良いのかもしれないと思うことがある.なぜならそこに住む人間も完璧ではないからだ.

だからある意味,現場でミスをしてくれるとちょっとほっとする.もちろん,そのミスからリカバーする方法はその場で考えるのだけれど,その瞬間ヨゴシというか,なんとなく我々の観念的な完璧空間がちょっと崩れて,人を許容する空間になるような気がする.

そうそう,誰だってミスはあるものね.にんげんだもの.
生活の空間はそういう具合でちょうど良い気がする.