14. 01 / 23

新種の…

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sekimoto

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> 子ども



お正月に宮古島に行きまして,天気が悪いので家族で焼物体験などをしていたのですが,その時に作ったシーサーが無事焼かれて送られてきました.

負けた.見た瞬間にそう思いました.

左側が私.さすが大人です.上手です.
右側が息子.もう作っていたときはぐちゃぐちゃで,端から見ていて何を作っているのかわかりませんでした.実は目の前には「お手本」が置かれていて,それを良く見ながら作れば初めての人でもそこそこ上手く作れるという代物なのですが(そして私はお手本通り),息子の手では,すでにお手本から遠く離れた”なにか”が生まれはじめていました.お店の人もこれには苦笑い.

あのさぁ,もうちょっとよく見て作ろうよ.助言のつもりで何度か声をかけましたが,本人的には目の前のお手本のように作っていたつもりだったようです.ところが手先が不器用なばかりに,結果的には似ても似つかないものが出来上がりました.
ただ,これが実にイイなあ…と.

でも正直焼き上がってくるまではわかりませんでした.それまでは自分のはなかなか良いものができたと思い込んでいたわけですが,なんというか型にはまっていて退屈で,心に響くものがありません.ところが息子のシーサーは,なんというか見ているだけで心がザワザワしてきます.もはやシーサーですらないわけですが笑,そんな定義のつけられないところで,この新種のトロルは不敵な笑みを浮かべて唸っています.う~ん,負けた.

アートも建築も,なんでもそうだと思いますが,先天的に器用な人は忠実に定義を踏んで,求められている結果を最短距離で出してゆきます.不器用な人はそれを見て敵わない,自分は向いていないと思うことでしょう.けれども,不器用であるが故に型にはまらず(はまれず),結果的に型破りなものを生み出せる(生み出してしまう)力は後者の人にあるような気がします.

息子に「おまえ,才能あるぞ!」と声をかけると,「知ってる」と返されました.
やっぱり生意気だな.