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建築におけるディテールのありかたについて,時折考えさせられる.
先日,某著名建築家さんのオープンハウスにお邪魔させて頂いた.さすが,建築としては非常によくできた意欲作だった.でも細かいところを見ていくと…結構アレ?と思うところがいくつかあって,非常に気になってしまった.
こういう場合,たぶんそういう指摘をしちゃいけないんだろうな,と思う.つまりそんな(取るに足らない)細かいところよりも,建築のコンセプトであったり,大きな意味での空間の気持ちよさや面白さが勝つのであって,そんな重箱の隅をつつくようなことを言うのは無粋であると.
でも,どうなんだろう.空間性もなくて,細部もないようでは論外だけれど,空間性があるのだから,もう少し先まで突きつめればもっと良いものになるのに,もったいないとつい思ってしまう.そしてそうした空間にちょっとした違和感や,嫌悪感のようなものすら感じてしまう.
例えば建築のディテールを語る時,大きな意味での「素材の使い方」という意味と,もっと細かい意味での(枠廻りなどの)「素材の取合い方」という意味がある.それに加えて「プロポーション」の問題もあるだろう.
前者は直感的,感覚的なものであるのに対して,後者はより論理的,経験的な要素が強い.僕が気になるのはむしろ後者のことで,これがおろそかな事務所は,若いスタッフに「任せきり」になっていることが多いような気がする.
どうしてそうなるかというと,建築家がそういうところに興味がないからだ.つまらない.前述のようにそういうことをやるのはスタッフの仕事であって,自分は建築のコンセプトにより力を注ぎたい,「作品」を作りたいと思っているからだ.前述の違和感や嫌悪感は,そういうところに起因しているような気がする.
そういう仕事を見ると,この事務所は「そっち系」なんだなと思う.「そっち系」の仕事は「わぁ」とは思うけれど心には響かない.深みや心のひだに入り込んでくる情感のようなものがない.
私がオープンハウスに行って,いつも鳥肌が立つような感動を覚える事務所の仕事は,細部まで実に配慮が行き届いている.それは単に「納めている」だけではなく,人間の心理や感覚,生理をきちんと読み取って,適切なスケールでそれを形にしている.それは単なる利便性が高い実用的な空間というものとは異なる.しっとりと体に馴染むような空気感がそこにはあるのだ.
若い頃はそれがわからなかった.もしかしたら,むしろ退屈に映っていたかもしれない.けれども今はよくわかる.自分の目指す仕事はやっぱり「そっち系」ではないのだなと再認識する.
子どものアイデンティティって,どこから来るんだろうといつも思う.
よく子どもが問題を起こすと,親の育て方が悪いと批判されることがある.一方で礼儀正しい子どもは,きっと親のしつけが良いのだとも言われる.確かにその通りのこともある.けれども,必ずしもそうではないこともある.
たとえば親がだらしない性格だと子どももだらしなくなるかというと,意外としっかりした子どもになることもある.逆に親があまりに几帳面な性格だと,子どもがたまらず脇道に逸れてゆくというケースもあるような気がする.夫婦の関係もそうで,だらしない夫にはしっかり者の奥さんが寄り添ってくれる.家族というものは,閉じた関係の中でお互いバランスを取り合おうとするものなのかもしれない.
うちの子の社交性はずば抜けている.いくら子どもだからとはいえ,ここまでオープンな性格の持ち主に日常で出会うことは滅多にない.うちは夫婦そろって人見知りをする方なので,親の背中を見て育ったとは到底考えにくい.
まず信じがたいことは,自分の知らない人たちが集まる場所でも進んでついて来たがることだ.そしてその場で片っ端から知らない大人にも声をかけるし絡んでゆく.基本的に人が好きなのだろう.公園などでもどんどん知らない人の輪に入ってゆくし,旅先や買物でも,ちょっと目を離した隙にはもう友達を作っている.逆にちょっと人見知りをする子だとどん引きである.でも彼にはその感覚はわからないらしい.
先日は止めるのも聞かずに近所のおばさんと犬の散歩に出かけてしまった.奥さんの実家の近くにも友達がいるので,どこに行っても遊び相手には事欠かない.これは才能だと思う.ある意味,コミュニケーションの天才である.
前述のように,これは教えられるものではない.実際自分にはできない.この点については我が子を尊敬するし,憧れもする.そして「三つ子の魂百まで」との言葉通り,この傾向はすでに物心ついた時からあったし,それを今まで失わずに来たのは彼にとって今後も財産になるだろう.
これは彼にとって長所.ただこういう一部に飛び出た才能を持つ者の常として,それ以外はもう目を覆わんばかりの実情もあり・・.それを受け止めてゆくというのも親としての試練なのかもしれない.昨日は彼の9歳の誕生日だったので,ふとそんなことをあらためて考えてみた.
もっとも,本人は誕生日だというのに奥さんの実家の友達との遊びに夢中で結局帰ってこなかった.将来の奥さんは大変だろうな・・・.

〇新国立競技場設計コンクール|http://www.jpnsport.com/
昨日の新聞に大きく見開きの広告がありました.2020年の東京オリンピック招致に向けた新国立競技場建設コンペの告知.建築家のみならず,一般の人も思わず「お!」と思った人は多いかもしれませんが,特設サイトから応募資格を見て思わずびっくり.
|① 次のいずれかの国際的な建築賞の受賞経験を有する者
|1) 高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)
|2) プリツカー賞
|3) RIBA(王立英国建築家協会)ゴールドメダル
|4) AIA(アメリカ建築家協会)ゴールドメダル
|5) UIA(国際建築家連合)ゴールドメダル
|② 収容定員1.5万人以上のスタジアム(ラグビー、サッカー又は陸上
| 競技等)の基本設計又は実施設計の実績を有する者
これを翻訳するとこういうことになります.
「オリンピックに出場できるのは,過去に出場したことのある人か,金メダルを取ったことのある人のみ」
これではドラマは生まれません.この条件を満たす人は,国内の建築家でもごくわずかしかいません.あとは大手の組織事務所でしょうか.それならこんな広告を打つ必要あるの?とも思います.
またサイトの冒頭には「プロセスには市民誰もが参加」ともあります.でもプリツカー賞といったら,建築界のノーベル賞とも言われている賞です.海外のプリツカー賞建築家の案などに決まったら,どこまで「みんなと一緒につくる」ことができるのか,甚だ疑問が残ります.
これはつまり東京都がオリンピック招致のために打ち上げた政治的プロパガンダ,言い換えれば出来レースなのではないか,との穿った見方もできます.審査委員長に安藤忠雄氏というのも,なんともはや….
オリンピック招致目的でもいいと思います.ただそれならば正々堂々と,オリンピックの精神に基づき,すべての建築士資格を持つ国民から案を募り,頂点に立つ案を決めるというのがフェアなやり方だと思います.標語に掲げる”For All”のAllって,一体誰のことなんでしょう?
早いもので,今年でリオタデザインも10年.
僕にとって記念すべき独立後の初仕事は,moiというカフェの内装のお仕事でした.その後,moiが荻窪から吉祥寺に移転したのが2007年.リオタデザインも自邸を設計して,志木に事務所ごと移転したのが2007年.リオタデザインの歴史はそのままカフェmoiの歴史でもあります.
そんな独立10年を記念して,moi店主の岩間さんとも何かイベントでもやりましょう!と言っていたのが去年の話.その後今年に入って日々の忙しさに流されていたのですが,重い腰を上げとうとうカフェmoiにてトークイベントを開催させて頂くこととなりました.
当日は主にフィンランド時代の話や,かけ出しの頃の苦労話.様々なプロジェクトのちょっとした裏話など,普段あまりお話しできないようなことも(ひょっとしたら?)お話しする予定です笑.
moiもスペースが限られているので私からの告知は少し控えていたのですが,まだ若干名の席があるようなので,ご希望の方は以下のサイトよりお申し込み下さい.急なお知らせで申し訳ありませんが,開催は7月25日(水)です.
カフェmoi・トークイベント 「リオタデザインの10年」
http://moicafe.blog61.fc2.com/blog-entry-1720.html
講師:関本竜太
日時:2012年7月25日(水)19時~(開場18:45)
場 所:moi[カフェ モイ] 吉祥寺 map☞ ★
参 加 費:1,500円(ワンドリンクつき)
申し込み:先着順(定員に達し次第締め切らせていただきます)
どうか奮ってご参加下さい!
今週末は一級建築士の試験があるようで,うちからもスタッフが2名ほど受験する.この季節になるとみんなそわそわ,思わず自分が受験した遠い昔のことをふと思い出す.
当時僕は大学を卒業して2年が経ち,ようやく一級建築士の受験資格を得られることになった時期だった.将来は独立と決めていた僕にとって,一級建築士はまさに悲願であり,それが取れなかったら始まらなかった.だから受験資格が得られるその年,僕は1月のお正月と共に勉強を始めると決めていた.年末に参考書を買い込んで,予定通り年明けから決意も新たに受験勉強に勤しんだ.
3月を迎えた頃からだろうか,独学に限界を感じ始めて,かといって大手予備校に通うお金もなかった僕は,某専門学校が主催していた週末講座に申し込み,毎週土曜日はそこで講義を聞くことにした.1月から勉強を始めた用意周到な僕とは対照的に,この時点で勉強を始めている友人は周りには皆無に近く,勉強はGW明けから始めるという人たちが圧倒的だったように記憶している.
勉強でなにが一番大変だったかというと,仕事を最優先として,深夜まで残業して帰ってきてから,また参考書を開かなくてはいけないという二重生活だった.それはほぼ全ての受験生が直面する悩みだろうと思う.でもどうしても取りたい資格だったし,こんな生活は絶対に1年で終わりにしたかったので,かなり真剣に取り組んだつもりだった.
しかし試験直前に大手予備校の模試を受けて愕然とした.難しすぎて全くわからない.一方でその予備校の受験生たちは余裕の顔で問題を解いて退席してゆく.大手の強みとレベルの違いを見せつけられた瞬間だった.
結局その年の試験は,予備校の自己採点でもわずか一点足りずに不合格となった.そしてGWから勉強始めたという友人はストレートで合格した.頭のデキの違いもまた実感した年だった.何より来年もまたやらなくてはいけない!という事実が,落ちたことよりもずっしりと重くのしかかった.
翌年の受験でようやく学科をパスした僕は,まさか2次試験である実技では落ちないだろうと高をくくっていた.CADで仕事をしている人たちや現場監督さんと違って,自分は設計事務所勤務で,毎日鉛筆で図面を描いている.また図面なら誰にも負けないという自負もあった.専門学校の製図講座にも通ったし,自信もあった.ところがそう甘くはなかった.
その年の実技試験では見事落とされてしまった.プレッシャーからか,受験の1週間前から熱が下がらず,朦朧と会場に向かったこともあるけれど,その要因は翌年に明らかとなった.
翌年の受験は学科が免除となり,実技だけを受験できる最後の年.いわゆる角番というやつだ.ここを落とすと後がないと危機感を感じた僕は,大枚をはたいてようやく大手予備校の製図講座を申し込むことにした.背に腹は替えられないと思った.
その講座での指導方針は…まったく違った.これまで通った講座では何も言われていなかったのに,前年と同じ要領で図面を描いて持って行くと真っ赤に添削されてしまう.「こんなんじゃ落ちますよ!」とも言われた.建築士試験には,やはりテクニックが必要で,それを最高レベルに高め,情報を蓄積している大手予備校にはやっぱり敵わないとその時もまた思い知らされた.それからの僕は徹底的に受験テクニックとしての製図法を身につけていった.
この年の秋には僕は結婚を控えており,また仕事では大きな仕事を任されていて,毎日のように終電で帰っていた時期だった.家に着くととっくに0時を過ぎている.そこから風呂に入って,製図の宿題をこなし,最後に結婚式の準備をして,床に就くのが午前3時頃.翌朝のつらかったこと!もう本当にボロぞうきんのように疲れ果てた体を引きずって毎日会社に通っていた.
もう二度とこんな生活はごめんだし,できないと思った.なにより,ここで落ちたら,折角の新婚生活も受験勉強と共に始まることになってしまう.いやだ,絶対いやだ!!というのが当時の精神状態.12月に合格の知らせを受けた時は本当に嬉しかった!それまで生きてきた中で一番嬉しかったかもしれない.
一級建築士はよく,「足の裏の米粒」と揶揄される.そのココロは,「気になるから取ってはみるけれど,食えない」というもの.取ってみてわかるのは全くその通り.けれど,足の裏についた米粒を取らずして生きていくのは,この世界で生きる者としては酷な選択肢だ.
相当なプレッシャーをはねのけて結果を残すことができれば,その経験は自信となって,建築士という資格以上にその後の人生で心の支えとなってくれると思う.建築士のタマゴの皆さん,今週末はがんばってください!
