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幸せな朝にコーヒーがあるかは定かではないが,おいしいコーヒーからはじまる朝は間違いなく幸せである.私の場合.
コーヒーをなめてはいけない.正しい手続きで淹れたコーヒーはおいしい.これはもう人生の真実というくらい間違いないのである.正しい手続きとは,沸かしたてのお湯を,挽きたての豆に落とすことにほかならない.
人によっては沸かしたてはよくない,およそ95度が適温云々というのがあるらしいが,そんなことはどうでもよい.私にとって大切なのはむしろ豆なのだ.それも挽きたてであること.だから毎朝豆を挽く.
挽きたての豆にお湯を落とすと,豆がシュワシュワッと炭酸のように膨らんでゆく.これはあらかじめ挽かれた状態の豆と比べれば一目瞭然.挽かれて時間の経った豆は,お湯を注いでも全く膨らまない.いつまでたってもぺちゃんこ.いじけてヘコんだクレーターがそこに出現するのみである.味も全然違う.これはもう同じ豆でもこうも違いますか,というくらい.
そして分量である.お湯も豆も,計量カップやスプーンで正確に測る.しかしそこは素人だから,その日の気分や,豆のいびつさ,表面張力分くらいの違いでお湯や豆の量なんて変わってしまう.するとどうだ.変わるのだ,味が.本当に変わる.こだわりのラーメン屋が言うところの「お湯の一滴でスープは変わる」は本当なのだ.
毎日のことだから,今では私もカップに注いだ瞬間にわかる.光を透かした色で,「しまった,今日のは薄い」とか「今日のはイケる」という具合に.そして毎朝一喜一憂する.
私の朝の10分は,欠かさずこの手続きのために費やされる.毎朝二人分のコーヒーを淹れる.何日かに一度,これはもう奇跡のようにおいしいコーヒーが入るときがある.その時の幸せ感と言ったら!
おいしいコーヒーからはじまる朝は間違いなく幸せなのだ.
これはもう人生の真実というくらいに.
よく設計事務所との家づくりという選択肢がもっと広まれば良いのにという声を聞く.もう少し言うと,設計事務所との家づくりが世の中の家づくりの主流になるべきだと考える人もいる.でも,私はそうは思わない.設計事務所に設計を頼むという選択肢は,これまで通り少数派で良いと私は思う.
そんなことを言うと,関本さんのところは仕事がいっぱいあるからそんなこと言うんでしょう?と疎まれるかもしれないけれど,仕事があろうとなかろうと,それは関係ない.
一言で言えば,設計事務所に頼もうという人は設計事務所にしか頼まないのだ.私はそう思う.ハウスメーカーやその他の選択肢で満足する人は絶対に設計事務所には頼まないし,頼まれてもお互い不幸になると思う.
もしかしたらその逆もあるかもしれない.設計事務所でしか満足できないのに,ついうっかりそれ以外の選択肢を選んでしまった人.こういうミスマッチに気づけなくて不幸になるパターンは,家づくりに限らず,結婚就職その他,いろんな場面であるだろう.
でも私はそういう人は救えないし,救おうとも思わない.残酷なようだけれど,うちのクライアントの真摯さ,まっすぐさを思うと,その方達は家族や自分の人生と向き合う真剣さに欠けていたのだと思わざるを得ない.
設計事務所に辿り着くまでには,程よいハードルが必要だ.意を決して飛び込む.そのくらいでちょうど良いと私は思う.飛び込むためには覚悟が必要だ.覚悟もしないで,大事なことを安易に決めるから間違いが起きるのだ.私はそう思う.
そして,なぜここに?というひどく辺鄙な場所にあります.
土日しかやっていません.しかも今年は今日が仕事納め.
来年はいつからやるか,まだわからないそうです.
ここに行く時は事前に念入りに調べて行くのです.
そして,そんな人でいつもお店は満席なのでした.
ここはオーナー自ら内装工事までやっています.
その超絶的なセンスに,私はいつも鳥肌が立ちます.
カフェオーナーにここまでやられたら,
我々の出る幕などあるはずがありません.
サイトに写真はありますが,実際の空間の方が素晴らしいです.
HANG CAFE
http://www.hang-cafe.com/

外壁のモルタル下地が仕上がったのを見ると「あぁ,いいなあ」といつも思う.モルタルの色って質素でなかなか素敵だ.私が外壁にライトグレーを好むのは,どこかモルタル仕上げに対する憧れがあるんだと思う.
以前とある住宅を見学させて頂いたのだけれど,その住宅の外壁はモルタル仕上げだった.おっ!と思ったのだけれど,住まい手の方は「建築家の先生が現場でモルタルのままがいいと言って変更してしまった.いまだに完成していないみたいで恥ずかしい」とおっしゃっていた.
う~ん,やっぱ建築家の嗜好って世間とズレてんだっていうそんな話.モルタルさんさようなら.隠れキリシタンのように,今回も私はライトグレーを吹くことにします.

若いスタッフに,「青焼きっていいますけど,一体どうやって焼いてるんですか?」と素朴な質問を受けた.そうか,設計事務所のスタッフももはや青焼きを知らない世代になってきたということか.
私が設計事務所に入所した頃は,まだ事務所も手描きが主流だった.トレーシングペーパーに線を引いたら,感光紙と重ねて感光機にかける.皺がよった図面などは,ローラーによく巻き込まれて大変だった.メリメリッという断末魔のような音が聞こえたら,すぐに感光機を止めないと大変なことになるのだ.
そしてここからが一番嫌な作業なのだけれど,筒の中に入れて,その下のアンモニア原液の蓋を厳かに開ける.もちろん息は止めたまま.それでも揮発した原液のせいで目はちかちかするし,手に傷があったりするとそこもピリピリと痛むことになる.今考えてもあれは大変な劇薬だったのだろう.
それまでクリーム色だった感光紙は,揮発したアンモニア原液で”焼かれて”ブルーの線が浮かび上がる.図渡しの前日などはもう大変だった.先輩スタッフが最後の追い込みで描き上げた原図を,片っ端から青焼きを繰り返してゆく.眠さとアンモニア臭で意識は朦朧・・.今のようにワンクリックで何枚でも出力できる時代が来ようとは夢にも思わなかった.
・・なんて話をしていて,はっと気づいた.
自分とした事が,なんだか大昔の話をしているみたいだ.
実際スタッフは「へぇ・・」という感じで,「お父さんが子どもの頃はな」と終戦直後貧しかった時代の話に付き合わされてるみたいな空気になっている.
ちがうちがう!そんな昔の話じゃないんだって.ついこの間の話なんだって.
つまり,えっと15年前とか,20年前くらい?だからつい最近の話なんだって.
「つまり僕が幼稚園か小学校に上がったくらいの話ですね」
今の子にとっては十分に大昔の話だったようです.


