12. 07 / 24

超社交性

author
sekimoto

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> 子ども


子どものアイデンティティって,どこから来るんだろうといつも思う.
よく子どもが問題を起こすと,親の育て方が悪いと批判されることがある.一方で礼儀正しい子どもは,きっと親のしつけが良いのだとも言われる.確かにその通りのこともある.けれども,必ずしもそうではないこともある.

たとえば親がだらしない性格だと子どももだらしなくなるかというと,意外としっかりした子どもになることもある.逆に親があまりに几帳面な性格だと,子どもがたまらず脇道に逸れてゆくというケースもあるような気がする.夫婦の関係もそうで,だらしない夫にはしっかり者の奥さんが寄り添ってくれる.家族というものは,閉じた関係の中でお互いバランスを取り合おうとするものなのかもしれない.

うちの子の社交性はずば抜けている.いくら子どもだからとはいえ,ここまでオープンな性格の持ち主に日常で出会うことは滅多にない.うちは夫婦そろって人見知りをする方なので,親の背中を見て育ったとは到底考えにくい.

まず信じがたいことは,自分の知らない人たちが集まる場所でも進んでついて来たがることだ.そしてその場で片っ端から知らない大人にも声をかけるし絡んでゆく.基本的に人が好きなのだろう.公園などでもどんどん知らない人の輪に入ってゆくし,旅先や買物でも,ちょっと目を離した隙にはもう友達を作っている.逆にちょっと人見知りをする子だとどん引きである.でも彼にはその感覚はわからないらしい.

先日は止めるのも聞かずに近所のおばさんと犬の散歩に出かけてしまった.奥さんの実家の近くにも友達がいるので,どこに行っても遊び相手には事欠かない.これは才能だと思う.ある意味,コミュニケーションの天才である.

前述のように,これは教えられるものではない.実際自分にはできない.この点については我が子を尊敬するし,憧れもする.そして「三つ子の魂百まで」との言葉通り,この傾向はすでに物心ついた時からあったし,それを今まで失わずに来たのは彼にとって今後も財産になるだろう.

これは彼にとって長所.ただこういう一部に飛び出た才能を持つ者の常として,それ以外はもう目を覆わんばかりの実情もあり・・.それを受け止めてゆくというのも親としての試練なのかもしれない.昨日は彼の9歳の誕生日だったので,ふとそんなことをあらためて考えてみた.

もっとも,本人は誕生日だというのに奥さんの実家の友達との遊びに夢中で結局帰ってこなかった.将来の奥さんは大変だろうな・・・.