11. 05 / 30

普通のこと

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sekimoto

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> 思うこと


今日大学で指導していた学生から「普通のことをやったんじゃだめなんですよね」と訊かれた.もちろんそんなことはないのだけれど,言わんとしていることはよく分かる.

大学教育はある意味残酷だと思う.いわゆる普通の作品では目立たないのだ.ある意味奇をてらった,”狙った”作品が衆目を集めるし,我々もどうしてもそういう作品を選んでしまう.だから学生もそういうものを作らなくてはいけないのだと思いこんでしまう.

でも実際には当たり前のことをちゃんと設計できなくてはいけないのだ.社会に出たら絶対的にそうだ.自分の作品性を優先させるがあまり,クライアントを犠牲にするような話もよく耳にする.とんでもない話だと思う.

賢明な学生は,社会に出たら洗礼を受けて”まとも”の意味を知ることになるだろう.
大学と社会の間に存在するダブルスタンダード.僕も学生のうちは夢のある設計をしてもらいたいと思う.あまり現実的なことを考えないで,多少かっとんでいるくらいでちょうど良いとも思う.

ただ一方で,それが出来る学生と出来ない学生で温度差が生じていることも確かだ.
かたや普通でも良いのだと言いながらも,頭一つ出た”普通でない”作品を最終的には選ぶことになるだろう.教育は横並びではありえないのだから,それもアリだと思いつつも悩ましい問題だ.

それは学生だけの問題ではない.プロである我々であっても建築雑誌を賑わす前衛的な作品には刺激を受けるし,時にそうした思い切った表現や手法を取り入れたいと思うこともある.悪いことではないと思う.ただそれを単なるファッションやエゴとして使うなら手痛いしっぺ返しを食うことになるだろう.

つまるところ,我々はプロとしてクライアントの期待に応える必要がある.機能や居住性はクリアしたうえで,同時に高いデザイン性も備えていなければならない.

それを踏まえた上で誤解を恐れずに言えば,僕は建築は”普通”で良いと思う.
高いレベルのあたりまえを積み重ねていった先に,あたりまえでないものが出来上がる.そう思う.逆にいえば,世の中のほとんどの建築はあたりまえのことすらできていないのかもしれない.

普通のことができなかったら,それ以上の事はできない.そう思うのだ.