12. 10 / 01

記憶のまち

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sekimoto

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> 生活


[caption id="attachment_5908" align="alignnone" width="560" caption="ここは一体どこなのだろう?昔は一面の麦畑が広がっていた."][/caption]僕は中学校を卒業するまでは,埼玉の桶川市というところで過ごした.
桶川の中でも僕が育った川田谷というところは,文字通り川と田んぼと谷しかないような,そんな素朴な田舎町だった.今日はこれまで忙しくて行けなかった鴻巣の免許センターに免許の更新に行くことになり,その帰り道,ふと思いついてその帰路にある桶川を車で横切って帰ることにした.

川田谷まで足を延ばしたのは,もう何年ぶりだろう.最後に行ったのは少なくともまだ圏央道は開通していない時期だった.ずいぶん昔から計画道路指定はかかっていて,まさか実現するとは思っていなかったその道路が,自分が住んでいた地区のすぐ近くを貫くと聞いた時は,正直やっとあの辺も便利になるのだなと,好意的な印象すらも抱いていた.

ところが今日そんな街に久しぶりに立ち寄り,その光景に思わず愕然としてしまった.駅から圏央道方向へとつながる道はまっすぐときれいに舗装されているものの,自分が知っているあの通りではなかった.記憶をどう辿ってもなにも引っかからないのだ.

それもそのはずで,既存の道路とは関係なくまっすぐと引かれたその計画線は,もともと住んでいた人たちの住居や商店の上を不躾にも土足で横切り,立ち退きという代償のもとに計画されていたものだったからだ.

幼い頃買い物に連れて行ってもらったスーパーや,子供のたまり場だったゲームセンターもどこにもなかった.あの頃目印だった建物も見当たらない.その代わり新しいマクドナルドやきれいなスーパー,そして画一的なサイディングのハウスメーカーの住宅だけが何の脈絡もなく建ち並んでいた.

道路計画による立ち退きのためか,新しい道路の傍らに家はなく,草だけが茫々と生えていた.道路ができて賑やかになったのではなく,むしろ退化していた.まだ誰もこの地に住んでいなかった大昔の風景のように.

最もショックだったのは,自分が元住んでいた地区の辺りが本当に変わり果てた姿になっていたことだ.小学校に行くために,みんなで集合したあの公民館もすでになく,当時からあった大谷石の蔵だけがぽつんと取り残されたように建っていた.

そしてそこから続いていた通学路は,圏央道からつながる車道のため見事に分断され,もうどこがどう繋がっていたのか,街の文脈(コンテクスト)や脈絡すらも思い出すことができなかった.家の隣にあった醤油工場は廃墟になっていた.それを見ていたら,もう本当に切なくなってしまった.

都市計画というものは残酷なものだ.その街に根付いていた人のつながりだったり,記憶だったり,一見無意味のように見えてとても大切だった何かをずたずたにしてしまう.そこを通過していくだけの人にはそれは見えない.地方都市を貫く真新しい道はどこまでもまっすぐで快適だ.けれどもその代償として街のつながりはどこも決定的に損なわれているのだ.

この件では本当に考えさせられた.立ち退きを拒む人たちの気持ちも初めて理解できたような気もする.僕が友人と自転車を乗り回したり,寄り道をしながら帰ったあの道は,もう思い出の中にしか存在しないのだ.

[caption id="attachment_5909" align="alignnone" width="560" caption="蔵の脇には古い民家と茂み,その奥には煙突のある醤油工場があった.ここでは夏休みにラジオ体操もした.近所には子供がたくさんいた.今ではもう何もない."][/caption]