12. 08 / 01

そっち系

author
sekimoto

category
> 建築・デザイン


建築におけるディテールのありかたについて,時折考えさせられる.

先日,某著名建築家さんのオープンハウスにお邪魔させて頂いた.さすが,建築としては非常によくできた意欲作だった.でも細かいところを見ていくと…結構アレ?と思うところがいくつかあって,非常に気になってしまった.

こういう場合,たぶんそういう指摘をしちゃいけないんだろうな,と思う.つまりそんな(取るに足らない)細かいところよりも,建築のコンセプトであったり,大きな意味での空間の気持ちよさや面白さが勝つのであって,そんな重箱の隅をつつくようなことを言うのは無粋であると.

でも,どうなんだろう.空間性もなくて,細部もないようでは論外だけれど,空間性があるのだから,もう少し先まで突きつめればもっと良いものになるのに,もったいないとつい思ってしまう.そしてそうした空間にちょっとした違和感や,嫌悪感のようなものすら感じてしまう.

例えば建築のディテールを語る時,大きな意味での「素材の使い方」という意味と,もっと細かい意味での(枠廻りなどの)「素材の取合い方」という意味がある.それに加えて「プロポーション」の問題もあるだろう.

前者は直感的,感覚的なものであるのに対して,後者はより論理的,経験的な要素が強い.僕が気になるのはむしろ後者のことで,これがおろそかな事務所は,若いスタッフに「任せきり」になっていることが多いような気がする.

どうしてそうなるかというと,建築家がそういうところに興味がないからだ.つまらない.前述のようにそういうことをやるのはスタッフの仕事であって,自分は建築のコンセプトにより力を注ぎたい,「作品」を作りたいと思っているからだ.前述の違和感や嫌悪感は,そういうところに起因しているような気がする.

そういう仕事を見ると,この事務所は「そっち系」なんだなと思う.「そっち系」の仕事は「わぁ」とは思うけれど心には響かない.深みや心のひだに入り込んでくる情感のようなものがない.

私がオープンハウスに行って,いつも鳥肌が立つような感動を覚える事務所の仕事は,細部まで実に配慮が行き届いている.それは単に「納めている」だけではなく,人間の心理や感覚,生理をきちんと読み取って,適切なスケールでそれを形にしている.それは単なる利便性が高い実用的な空間というものとは異なる.しっとりと体に馴染むような空気感がそこにはあるのだ.

若い頃はそれがわからなかった.もしかしたら,むしろ退屈に映っていたかもしれない.けれども今はよくわかる.自分の目指す仕事はやっぱり「そっち系」ではないのだなと再認識する.