Finland通信

2001/12/17
Vol. 131

"moi moi, Finland"



パチン、という音と共に最後のスーツケースにロックがかけられた。

ガランとした部屋を見渡すと、ついこの間までこの部屋で繰り広げられていた生活がまるで嘘のようだ。急速に生気を失った空間を眺めながら、自分たちの部屋が思いのほか小さかったことに気付いた。きっと空間の思い出というものの多くはもしかしたら家具に宿るものなのかもしれない。家具の運び出された部屋は空虚そのもので、もはや何の感慨も抱かせてくれなかった。そのことが少しさびしかった。

外はまだまだ暗い。この国の極端な日照感覚にも、もうすっかり慣れてしまっている自分に気付く。部屋の壁掛け時計は、8時をまわったところで電池を抜き取られた。フィンランドの時間を刻むことはもう、おそらくない。

・・・・・

一年前の今頃、僕らはできるならフィンランドにこのままいつまでも居続けたいと思っていた。あの頃の僕らは自分たちがいつか日本に帰国するその日を、想像することすらできなかった。見るもの全てが新鮮で、人々はおだやかでどこまでも親切だった。僕はフィンランド人に日本人が忘れかけている、人間本来の温かさみたいなものを感じた。大げさだけれど、この国に僕らの考える理想の国の姿を見たような気がした。

フィンランドでの生活は本当に快適そのものだった。夏は涼しく湿度も低かったし、冬だって一歩室内に入ってしまえば本当に暖かくて、アパートの暖房は壊れていたけれどそれすらも苦にならなかった。気温が−10度をきると好奇心から、外を意味もなく歩いた。街でなにか発見すると、忘れないように急いで家に帰って日記に記した。そんな日記もこれが最後でvol.131を数える。

フィンランドでの生活を遡ると、僕のワンシーンは一人で過ごした照明もベッドすらないKiloの仮アパートでの寝袋生活に行き着く。日本で足止めを食らっていた相方の滞在許可もいつ降りるかわからず、生活用品も揃わず、慣れない異国のガランとした一室で過ごしたあの心細い数週間は今でも忘れられない。あの頃ラジオで流れていた当時のヒット曲が流れると、今でも一瞬にしてタイムスリップしてしまう。
今となっては良い思い出だ。

相方がフィンランドにやって来た日のどんよりとした曇り空。
言葉もおぼつかない大学での授業。
建築学科のレンガ壁に真っ赤に紅葉したツタの葉。
学内コンペの受賞式で握手を交わした友人達...。

僕の頭ではいろんなシーンがスライドショーのように流れてゆく。

ラップランドのコテージではじける薪の音。
ヤリに何度も連れていってもらったスモークサウナ。
その後飛び込んだ氷の海のしびれる感覚。

木々から差し込む春の強烈な陽差し。
友人宅でアツく語りすぎてしまって逃した終電の数々。
ウッドスタジオで描き飛ばしたスケッチ。

立ち上がる巨大な木の模型。
夏至の日、白夜の夜に真っ赤に染まる葦の群。
フィンランドでの初仕事、そしてもらったお給料。

嫌な思いをしてイライラしたり、とびきりの天気に小躍りした。
その時の空気のにおいや色さえも、今でも鮮明に覚えている。

また僕らは多くの素晴らしい友人に恵まれた。ヘルシンキで出会う日本人は、それぞれが自分を持ち、魅力的な「何か」を必ず持っていた。彼らの目は純粋に何かを追い求めようとする好奇心にいつも満ちていた。そんな彼らの目に引き込まれながら、僕もまたいつも何かに夢中になっていた。

16ヶ月。数字で書くと、なんと短い時間だろう。
でも僕らにとっては長い長い時間だった。長い長い夢の中を僕らは楽しんだ。すべてはのんびりと進み、時間は無制限にいくらでもあった。そして僕らは何もしない時間をむしろ楽しんだ。大いなる時間の中で無駄を楽しんだ。

しかし、これだけは断言できる。この16ヶ月は僕の人生の中でも最も濃密な時間だった。例えこれまでのどんなに忙しかった仕事の追い込みすらも霞んでしまうくらいに。
それらはどんな有名事務所で働いたって、どんなにお金を積んだって得られない、本当に貴重な大切な時間だったように思える。
フィンランドに来て良かった、と今心から思う。

心はとっくに決めたつもりだったけれど、直前になっていろいろな想いがこみ上げてくる。いつかは言うことになるだろう言葉をずっと引き延ばしてきたけれど、やっぱりこれはけじめだから。


さようなら、フィンランド。


・・・・・

長い夢だった。成田空港に着いたら僕らは目を覚ます。
もしかしたら、すべての思い出はシャボン玉のように一瞬のうちに消え去ってしまうのかもしれない。それが僕には怖いのだ。
しかし、そのうち思い出す時が来るだろう。そしてその時に気付くのだ。
その夢が持つ、本当の意味に。

北欧の冬の太陽は南から昇りはじめる。ハレーションをおこしたように、見慣れた窓の景色がコバルトブルーに染まってゆく。いつもの駅までの道を白い息を吐きながら歩く人たち。静かに、夜が明けようとしている。











FIN



長い間ご愛読ありがとうございました。


今後の日記(エッセイ)につきましては、TOKIO通信の方へ引き続き連載してゆきます。日本帰国後は、一建築家としてフィンランドで学んだことを胸に、活動を続けてゆきます。今後ともRiotadesign共々よろしくお願いします。


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