またやられてしまった。一時不停止違反。

言っちゃなんだけれど私は安全運転な方だとは思う。しかも交差点の一時停止は過去何度か切られているので、普段は誰も見ていないようなところでも、神経質なくらいちゃんと停まるようにしているというのに。

今回は標識を見落としていた。迂闊だった。目に入っていればちゃんと停まるのだから、そこがなんといっても悔しい。

どうして見落としたのだろうと思うと、車線が合流するポイントで、これが高速道路ならぐっとアクセルを踏みこんで流れに乗っていくところを、一般道では逆にブレーキを踏ませるというポイントが結構ある。いわゆるひっかけ問題だ。たぶん今回も無意識にアクセルを踏んでしまったのだと思う。

そうやって見落としたり、間違ったりする人が多いからパトカーも待ち伏せしているのだろうが、そこが腹立たしい。そこに立って、間違わないように未然に指導するというのが筋だろうに、間違うのをじっと待っているのだ。

でも仕方ない。見落としたのは私なのだ。だから無駄な抵抗はせずに素直に切符を切られる。反則金は7,000円也。地味に痛い。さて本題はここからである。

この反則金、納付するためには銀行や郵便局に足を運ばなくてはいけない。行けばいいのだろうが、これがまた地味に混んでいる。今どきお金を引き出すのも振り込むのもATMだ。銀行の窓口で整理券取って並ばなくてはいけないというのは余程の時である。

公共料金もコンビニで支払える時代である。どうして反則金をコンビニやATMで払えるようにしてもらえないのかと思う。そしてできれば、ネットでぽちっとできるようにしてもらいたい。今どき納税だってネットでぽちっとする時代なのだから。

これは私の憶測であるが、公共料金や納税は”善良な市民”からの徴収であるからして、手間をおかけしないよう配慮しているのに対して、反則金は交通道徳を守らない不届きな輩だからにして、そんなやつに楽をさせることはない!という考えがあるのではないか。

であるとすれば反論もあるのだが、ついうっかりミスをしてしまった善良な市民を、急いでいるにもかかわらず足止めをさせ、違反点数を計上するというだけで立派なペナルティではないのか。

そしてただでさえ痛い出費(それは甘んじて受けようと思うが)を払うのに、平日の昼間に銀行の長蛇の列に並ばなくてはいけないという極刑。善良な市民(私)が可愛そうである。

ということで以下の提言をしたい。

・全国の一時停止線には漏れなく警察官ないし民間委託の係員を立たせておいて、ちゃんと停まったらスタンプカードにスタンプを押してもらいたい。スタンプが100個たまったら1回の一時不停止違反をチャラにしてもらいたい。

・反則金はネットで。できればTポイントか楽天ポイントでも払えるようにして欲しい。反則金を払ってポイントが付いたらなお嬉しい。

だめですか。そうですか。


昨日のSADIでの総会講演会、齋藤暖生先生による北欧の「万人権」のお話はとっても良かった。まさに我々が北欧に惹かれる根に触れるお話だったと思う。

北欧では国ごとの違いはあるにせよ、自然はみんなのものという意識があり、私有地であっても勝手に分け入って、ベリーやキノコを自由に摘むことができる。そしてそれが法によっても守られている。

日本では土地を買えば、その上にあるものは土地所有者のものだ。それがたとえ風に運ばれてきて咲いた一輪のタンポポであっても。

北欧には土地を持たない人の権利、貧しい人を守る保障がある。スウェーデンでは人口の3%が国土の50%を所有しているという。日本人のような感覚を持てば、国民の97%は自然を享受する権利の過半が奪われることになる。

実は日本も同じ構造の上にある。我々が自由に享受できる自然なんて、ごくわずかにしか存在しないということに気づかなくてはならない。

写真は軽井沢での一コマだ。よく見て欲しい。敷地の境界に沿って植えられた不自然な木の列を。

自然を享受しようと避暑地に足を運びながらも、自ら敷地を囲んで閉ざすというこの構造は、軽井沢にすらもはや自由な自然は存在しないということを意味している。そしてそれは首都圏の住宅地に見る光景そのままだとも思う。

18. 05 / 26

鉄砲玉


人を指導する立場になると、目的のために、原理原則をはっきりさせて行動指針を与える一方、理想論で押し切ると破綻するグレーゾーンを、どう着地させるかという点にもっとも腐心します。

指示を受ける側が真面目であればあるほど、こちらの言葉を真に受けてしまいます。ヤクザの世界なら、親分の顔色をうかがって、鉄砲玉のように相手の玉を取りに行こうとするといったところでしょうか。そして最後に親分が「うちの若いもんが迷惑をかけまして」的に出て行くみたいな。

日大アメフト問題じゃなく、日常業務の話ですよ。でもアメフト問題も同根だなと思います。今回の真相は今もって闇の中ですが、私はこういう事件が起こると、傍観者というより、胸にそっと手を当てることにしています。


4月が出会いの季節なら、5月は家づくりにとってははじまりの季節です。新年度になって心機一転し、気候も穏やかになったこの季節、前向きな気持ちになる人が増えるのかもしれません。

こちらはたまたまですが、この5月には立て続けに住宅が着工します。昨日は葛飾区の「koti」という住宅の地鎮祭がありました。


「koti」では建て主さんが我々の住宅に興味を持って下さり、はじめて顔を合わせてからすでに一年半の時間が流れています。ようやくの地鎮祭、私も建て主さんも感慨深い思いでこの日を迎えました。

計画では、土地の問題、資金の問題など、おおよそ家を建てようという方が経験されるであろうほぼ全ての洗礼を受けました。それも、これでもか、これでもかというくらい笑。

建て主さんの心も折れかかっていた時期もありましたが、オープンハウスに見学にいらっしゃる度にモチベーションをチャージされ、ここまで辿り着きました。そんな背中を私も強く押し続けました。

ようやく着工です。Iさん、竣工までプロセスを楽しんで共に最後まで走りきりましょう!



さて私も少し歳を取り、今では私よりも建て主さんの方が年下という計画も多くなりました。皆さん「人生これから」という方達ばかりです。

家づくりに最も大切なのは、自分たちが「こうありたい・こうなりたい」という思いを描くことと、困難を乗り越えてでもそれを実現しようという強い意志だと思います。潤沢に資金があって、理想的な敷地があって、思うように家が建てられる方などごくわずかです。ほとんどの方は「そんなの無理」と思って諦めてしまいます。

でも「こうありたい・こうなりたい」という思いを描く人たちは、諦めずに我々の事務所の門を叩いてくださいます。我々は資金や土地を提供することはできませんが、ものの考え方やいくつかの方法を指し示すことはできます。あとは強い意志で不安に打ち克ち、それを乗り越えることができるかどうか。

それができた方は、素晴らしい家を手に入れるだけでなく、その後の人生においても大きな財産を得ることになります。諦めなければ叶うんだという成功体験です。これは何にも代えがたい、家づくりのご褒美のようなものだと思います。

この日は午後にも設計打合せがありましたが、このご家族もまさに同じようなプロセスを歩んでいらっしゃる方達です。そんな方達と進める家づくりが、私にとっては何よりも楽しくやりがいのある仕事になっています。

5月ははじまりの季節!私の心もポジティブになります。


ギフトの本質は時間そのもの。
誰かがそんなことを言っていました。誰かのことを思って何を贈ったらと悩む時間や、特別な品をお取り寄せする時間、あるいは出来あいのものではなく敢えて手作りするという時間…。

贈られたものそのものよりも、その向こう側に見えるそんな”時間”にこそ、我々は心が躍り、幸せな気持ちで満たされるのかもしれません。そう考えると我々の作る住宅はまさに「時間そのもの」と言えるかもしれません。



昨日、TRという住宅の内覧会がありました。建て主さんのご希望もあり、告知は行わず内輪だけの内覧会とさせて頂きました。その中で多くの方に今回の住宅における施工精度や密度のようなものについて、多くのお褒めのお言葉を頂きました。

今回の住宅はいつも通りの設計で、いつもと同じような素材を使った住宅です。建て主さんも特殊なお仕事をされているような方ではありません。敷地にもとりたてて特殊な条件はありませんでした。とにかくいつもと同じ。家を建てようという方、全ての方が同じようにお持ちの条件の上に建っている家だと思って下さい。

その上で、この家を特殊たらしめているのは、建て主さんが手っ取り早く建てる方法はいくらでもあるこの世の中で、我々のような設計事務所に設計をご依頼くださったこと。それに尽きると思います。

とにかく打合せにも時間がかかりましたが、それもすべて建て主さんが望んだことでした。建て主さんは心からプロセスを楽しみ、そしてその様は、まるで我々との家づくりが永遠に続いて欲しいと願っているかのようでもありました。



前述のように、この住宅には特別な素材は使っていません。きわめていつも通り。しかしそれをきわめて丁寧に設計し、そして施工して頂きました。

今回の施工にあたっては、建て主のご要望を受けて望みうる最高の施工チームを編成しました。大工、板金、塗装、建具、家具、そして植栽。それらを束ねる工務店。すべてが私が認める一流の仕事人達です。

一流は高いのか?と言われると実は必ずしもそんなことはありません。ただ時間はかかります。よくありがちな”レンジでチンすればできあがり”みたいな仕事ではないからです。



最後に棟梁に「この家で最も手間がかかったのはどの部分か?」と訊ねたら「子ども部屋」だと答えました。これはある意味我々の作る家を象徴しています。

子ども部屋はローコストに仕上げるために、今回壁と天井はすべてシナベニヤで仕上げました。シナベニヤは確かにローコストな素材ですが、石膏ボードの上から塗装したり、クロスを張ってしまうような仕上げと違ってごまかしが利きません。

だから細心の注意が要求されます。ちょっと採寸を誤ったら、それだけで材料はロスになります。同時にシナの色味や節などが、見る人に違和感を感じさせないように吟味しなくてはなりません。それは新鮮な食材を、最小限の包丁入れと味付けだけで成立させる料理が最も難しい、という領域とよく似ています。

それが一分の隙なく完璧に納められた瞬間、シナベニヤ仕上げは漆喰仕上げにも劣らない、背筋が伸びるような気品溢れる仕上げへと変わります。その向こう側に途方もない手間(時間)を封じ込めているからです。さもなくば、ただの”安っぽい仕上げ”に成り下がるばかりです。



外装の板金仕上げもそうです。ガルバリウム鋼板と言えば少しは聞こえは良いですが、要は”トタン”です。かつては安普請の代表選手のようにも言われていました。実際ガルバリウム鋼板はとても安い素材です。

それがどうでしょうか。この外壁を見て安普請だと思う人はあまりいないかもしれません。これは私が板金職人を指定して葺いて頂きました。今この仕上げができるのはこの人しかいないからです。どこがどうという説明はここでは省きますが、これをそのまま真似して施工できる職人は、かなり限定されるはずです。

スーパーで買ってきたキャベツでも、最高の料理人が調理すれば気品溢れるフレンチになるということになりましょうか。申し添えれば、火加減(施工)だけでなくレシピ(設計)が重要だということは言うまでもありませんが。

これもまた、安価な素材であっても、その向こう側に膨大な手間(時間)を封じ込めることによって、タダモノではない佇まいになるという一例でもあります。



こんな風に書くと、なんだ安い素材だけで作られているのかと。
「安い素材x安い素材=安い工事費」ですか?と言われると、必ずしもそうではないというのも不思議なものです。すごく高いということはありませんが、住宅メーカーさんの坪60~70万円の家というわけにはいきません。どうしてでしょうか?

それは手間(時間)がかかっているからです。

ここまで書いてわかって頂けたでしょうか。我々の家づくりは「時間にお金を使う」家づくりなのです。我々は素材そのものというより、手間という名の時間にお金をかけているのです。時間こそが最高のギフト、そして時間こそが価値なのです。

スマホでポチッとすれば翌日に物が届く時代だからこそ、我々の家づくりは貴重なのだと思います。今回建て主さんは、どんな裕福な方よりも豊かな体験をされたに違いありません。今回の家づくりを通してつくづく感じたのはそのことです。

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