書籍の出版やトークイベントといったキラキラしたことばかりではなく、設計事務所を主宰するということは一方でとても重い責任を背負うことでもあります。

私は今年で独立して15年になりますが、それはある意味、独立して手がけてきた住宅が一斉に10年以上もの時間の洗礼を浴びてゆくことも意味します。最近では過去に手がけた住宅の改修や、ちょっとした”困った問題”についてのご相談を受けることも多くなってきました。


困った問題…。

ひとつはわかりやすく雨漏りですね。あってはならないこととはいえ、建築の仕事をしていたら避けては通れない問題です。経験のなさは、ある意味先鋭的な仕事を残す原動力にはなりますが、一方で…。

あの頃私は若かった、とばかりに言い訳をしていてもはじまりません。

雨漏り対応は本当に大変です。施工は一瞬ですが、そこにミスやボタンの掛け違いがあった場合、そのボタンをひとつひとつ掛け直してゆく作業は、途方もない手間と時間がかかります。我々も原因を究明するために、現場にも何度も何度も足を運ばなくてはなりません。

逆に言うと、この雨漏りを経験すると「もう絶対に嫌だ!」と思いますから、設計にも監理にもより一層注意を払うようになります。もちろん若い頃だって払っていましたよ。でもだめです。建築は圧倒的に経験がものを言うのです。

経験って何の経験だかわかりますか?ここでは失敗の経験のことを差します。

ちなみにこの案件、まだ原因特定に至っておりません。じわじわと犯人を追い詰めているのですが、「犯人は、、お前だ!」とやった後に冤罪が確定したりして、肩すかしが続いています。でも背中は見えているといったところでしょうか。


雨漏りだけではありません。今別件で対応しているのは床下の漏水です。ある日床下点検口を開けたら、床下が海のようになっていた…という恐ろしいケースです。

これはかれこれ半年がかりで対応を続けています。なかなか原因が掴めず、迷宮入りしかけていたのですが、ようやく糸口が掴めました。銅管です。

当時設備工事屋さんが給湯配管に銅管を使っていたようで、これが劣化してお湯を大量に漏らしていました。なぜ今までわからなかったかというと、配管が水に浸かっていて、漏れているかどうかが判別できなかったからです。

水をどう掻き出したかわかりますか?これはもう語りたくもないです。本当に、超~大変だったんですから!だからここでも誓いました。床下なめたらいかんと。皆さん、ちゃんと床下にも潜れる設計にしないとダメですよ!


現在この二つの難事件が、私の中では新規の設計や進行中の現場案件と同じくらいのウェイトで占められています。

この事件を難事件にしている要素がもうひとつあります。それは、当時施工した工務店にお願いできなくなっているという点です。一社はこの10年で倒産してしまいました。もう一社は、工務店の方が高齢化し、機動力のある動きをしてもらえなくなってしまったということがありました。

最初の工務店がやらかした不始末を、好んで対応する工務店などなかなかいるものではありません。実際、後者の住宅でも何社も対応を断られました。でもいるんですね、請けて下さるところが。

こういうのを神対応というのだと思います。ようやく素晴らしい後継の工務店と巡り会うことが出来て、事件は少しずつ解決に向かっています。H建設さん、D工務店さん、本当にありがとうございます!

だから今つくづく思うのです。

当時は予算が厳しくて、背に腹変えられず、相見積もりをして一番安い工務店にすがる思いでお願いしたりしていましたが、そういう現場はことごとくトラブルが頻発したりして、その後の対応も何度連絡しても来てくれないとか、そんなことが続いてクライアントを怒らせてしまった家もたくさんあります。

工務店は大事です。予算オーバーをすると、見積り調整の時はなかなかそんな気持ちになれませんが、少し高くても、良心的な信頼の置ける工務店にすべきです。なんといっても家は一生ものですから!

そしてもう一つはクライアントとの信頼関係ですね。工務店の対応が神なら、クライアントの対応も神です。本来なら「訴えてやる!」とばかりの叱責を受けそうですが、寛容にこちらにもお気遣いを下さいます。

そんなとき、10年という生活の時間と当時の設計プロセスは、一部にエラーはありましたが、あながち間違ったものではなかったのではないかと救いを感じる瞬間だったりするのです。

ともあれ、設計スキルが飛躍的に伸びるのは、書物からではなく、こうしたリアルな実地体験からだったりします。クライアントさんには申し訳ない思いですが、今もなお大変貴重な勉強をさせて頂いています。


さて、今回会場となった書店、ブックスキューブリックさんについても少し書きたいと思います。

今回の会場はエクスナレッジさんが決めて下さったものですが、博多にありながら書店業界では全国にその名を知られる有名書店とのこと。建築で例えれば、鹿児島にありながら全国にその名を知られる工務店、ベガハウスさんのようなものかな?

そのキューブリックのオーナー大井実さんも当日いらしていて、私の著書と引き換えに、ご自身の著書もプレゼントして下さいました。


ローカルブックストアである福岡ブックスキューブリック
http://amzn.asia/2mGswnN

こちらを帰りのフライトでじっくり読ませて頂きました。まだ読了はしていないのですが、すでに心の中では「しまった!」と後悔がはじまっています。

この本、とっても面白くて、できれば行く前に読んでおきたかったです。大井さんの取り組みや志のようなものに触れて、とても共感すると共に、僭越ながら私のこれまでの経歴とも重なるところもあり、事前に読んでいれば当日もっとお聞きしたかったことや、お話ししたかったこともいろいろありました。

またこの日ご案内下さった花山という屋台は、過去には角田光代さんなどを招いてのブックイベントで打ち上げを行った場所とのことで、この辺りのエピソードも著書に書かれています。大井さんの著者との打ち上げを大切にする考えなども読み、なんだか漫然と打ち上げに参加してしまったことも少し反省しています。



以下はちょっとまじめに。
今回あらためて思ったのは、人との一期一会ということについてです。

私もけして人との出会いを疎かにしているつもりはありませんが、またいつでもお会いできる方々とは違い、こうした地方のイベントではその時その場所が全てで、中にはなかなかもうお会いする事のない(かもしれない)関係者も多くいらっしゃいます。

来場者もそうだと思うんですね。私のことをよく知って下さっている方なら、そういう素地の上に私を見てくれますが、そうではない方との限られた時間で、どれだけ相手の心を打つことができるかというのはとても大切なことだと思うのです。

最近はこういうイベントにひっぱりだこになってきて、私はそれをとても光栄なことだと思っているのですが、一方では私が場慣れしてきてしまっているということも、自分の中では問題意識も持ちつつあります。

聞いている方にとっては流れるような話のほうが聞きやすいとは思いますが、例えば大学の授業を聞いていると無性に眠くなるという経験はないでしょうか?時には朴訥な話し方の方が人の心を打つこともあります。

だから慣れって怖いな、と思うのです。これからも丁寧に、足を運んで下さる方のためにも言葉を選び、一期一会を心がけたい。これはもちろん設計においてもそうですね。今回なお一層、そんなことを思いました。

今回のイベントでセッティングに奔走して下さいましたエクスナレッジの皆さま、一緒に登壇して下さいました横関さん、そして会場をご提供くださり、このような気付きを与えてくださいましたキューブリックの大井さんには、この場をお借りして深く御礼申し上げたいと思います。

皆さまお疲れさまでした。そしてありがとうございました。

スタッフが受験していた一級建築士の二次試験(製図試験)が先週末に終わったらしい。

私も一度は通った道とはいえ、一次の学科試験とあわせての合格率がたったの12%というのは、国家資格の中でもかなりの難関に入るのではないかと思う。まだ結果は出ていないけれど、昨日はまずはそんなスタッフの労を労った。

ただ、その上で思うことがある。これはずっと思ってきたことだ。

一級建築士の二次試験(製図試験)は6時間半もの長丁場となる。いわゆる即日設計の試験で、事前に課題(テーマ)は公表されているが、敷地形状や要求事項などは当日にならないとわからない。ちなみに今年の課題は「小規模なリゾートホテル」だったそうだ。

しかしこのわずか6時間半の製図試験で、設計者の一体何が分かるというのだろう。

冷静に考えてみて欲しい。我々の行う住宅設計だって6時間半で設計することなんてない。自分が設計を依頼した設計者の提案が、いくら優れているからといって、前日に半日ほど考えただけのものだったとしたら。法的に問題ないとか、構造的に安全とか言われたって、私はそんなの嫌だなと思う。

ましてやもっと複雑なリゾートホテルを、そんな短時間で設計させることに何の意味があるのだろう。益子義弘先生の「ホテリ・アアルト」が6時間で設計出来るだろうか。そんな試験をパスする能力って、どんな能力なんだろう。

私が1年間留学したフィンランドの大学は、卒業と同時に「建築家(Architect)」の資格がもらえる。逆に言うと、大学の卒業設計は建築家資格の認定試験を兼ねているということになる。

それはつまり、6~10年(フィンランドは10年生がざらにいる)の大学在籍期間中に学んだことの総決算としての資格審査が行われるということになる。だからそれは試験日にたまたま風邪を引いたからといって無になるようなものではないし、また直前に数ヶ月勉強したからといって取れるものでもない。

日本の建築士制度は、欧米の建築家(Architect)制度とは異なるものであろうが、たった一日、6時間半の時間で要領よく図面を描けた人が建築士だなんてナンセンスだと私は思う。設計とは本来そんなものではないはずなのに。


なんてボヤキを呟きながらも、苦労して勉強を続けてきた我がスタッフには、祝福されるべき結果が待っていることをただただ祈るのだった。

先週末、書籍が出ることを告知させて頂きまして、いろいろ反響を頂きました。お祝いのお言葉を下さいました方々には、この場をお借りして御礼申し上げます。

この本を出すにあたっての私の思いや出版の経緯などは、本書にも書かせて頂きましたので、本が出ましたらどうかお手に取ってお読み頂けたら幸いです。


先日のブログにはまだ校了していない旨を書きましたが、今日がほぼ実質的な校了日となります。これまで長い道のりでした。原稿を書いたら書いたで、今度はそのチェックがあります。その分量も150ページ超にもなると目を通すだけでも大変な作業になります。

私はブログもそうですが、後から何度でも読み返して、自分の素直な気持ちとの温度差や、これを書くことで誰かを傷つけることにならないかなど、いろんなことを考えて細部の表現をあとからチクチクと直します。

言い回しでも、「が」と「は」ではニュアンスが違いますし、「を」と「も」でも異なります。そんなどうでもいいことを、あとから、時に数日経った後でもチクチクと直します。

ですので、今回の原稿でも例外なくそんなことを最後までチクチクとやっています。

でもさすがにここまで来ると「もう見たくない!」という心境でして、心変わりしないように最後は努めて原稿を読まないようにしていましたが、編集者さんは違うんですよね。最後の最後まで、細かいところをさらにチクチクと修正を入れられてきます。

そんな姿を見ると、頭が下がると同時に、あぁ我々の仕事と一緒なんだなと思います。


我々の描く図面も、図面の最終段階になると(いやそうでもないか。最初の段階から?)スタッフが描いた図面を私がチクチクと直します。

たぶん図面を描いている本人たちは「え、そこ?」とか、「そんなとこ、どうでもいいじゃん!」とか思っているかもしれません。わかります。私もスタッフの時はそう思っていました。

でも違うんですね。図面の伝えたい内容の大局は同じでも、文章で言うところの「が」と「は」ではニュアンスが違うように、「を」と「も」では異なるように、表現の微差によって出来上がるものの着地点は微妙に変わってくるのです。

そんな無数のチクチクを重ねることで、ものづくりはようやく薄皮一枚上の洗練へと辿り着くことができます。それは、映画監督が役者の演技に何度もダメ出しをしたり、舞台美術さんがカメラに写っていないところまで精巧に作り上げるのと、少し似ているかもしれません。

だから家づくりは、無数の人たちが、チクチクと無数に針を打って仕上げた刺繍の大作のようなものかもしれません。それは本を作るのでも同じなんだなと感じられたことは、私にとってはちょっとした感動体験になりました。

本の発売と時期を同じくして、今月末に住宅がまた一件完成します。現場では今もなお、チクチクと私の細かいチェックと現場の作業とが続いています。完成を待ち望むお施主さんの心境が、今はよく分かります。


私の敬愛するデザイナーに深澤直人さんがいます。彼のデザインに対する思想は、僭越ながら私の建築への向き合い方とも重なる部分が多く、レクチャーなどでもよく深澤氏の「Without Thought」の話を引き合いに使わせて頂いています。

仮に深澤直人さんの名前を知らない人でも、彼のデザインを見たことがない人は少ないと思います。無印良品でよく買い物をするという方なら、無印良品に並んでいる製品の多くは深澤さんによるものですし、その他国内外の数多くの製品のプロダクトデザインを手がけていらっしゃいます。

そんな深澤直人さんの(意外ですが)国内初となる個展が、パナソニック汐留ミュージアムにて開催中です。

AMBIENT[深澤直人がデザインする生活の周囲展]
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170708/


深澤さんのデザインの特徴は、氏が毎年開催しているワークショップのタイトル「Without Thought」に象徴されるように、”無意識のデザイン”にあります。

私なりに咀嚼するならば、「デザインの本質は人が意識することなく、なにげなく普段の生活の中で行っている仕草や習慣のなかにこそある」といったところでしょうか。

もう少しわかりやすく例えると、雨の中家に帰ってきて傘をたたむとき、そこに傘立てがなかったらどうするでしょうか?おそらく人に尋ねるまでもなく、たたんだ傘を床のタイル目地と壁に斜めに立て掛けることでしょう。

深澤さんはこれが「傘立て」なのだと言います。「壁から15cm離れた7mmのタイル目地は傘立てである」というのが、深澤さんの主張です。

我々は傘立てをデザインしようとして、あるいは傘が立てられるものを求めて、つい玄関に筒型のオブジェクトを置いてしまいがちです。けれども本当にそこに求められていることは、必ずしもそこに筒を置くことではないのです。


深澤さんのデザインは、デザインが”普通”であることの大切さを説きつつも、その普通のディテールを極限まで洗練させてゆくと、けして凡庸ではない佇まいに行き着くことを教えてくれます。

それは我々の住宅設計にも同じことが言えます。住宅にとって大切なのは日常です。普通だけれど、普通を突き抜けた先にあるちょっと特別な日常とでも言いましょうか。

私の身の回りや事務所には、北欧デザインと同じくらい、深澤さんがデザインしたプロダクトがたくさん置かれています。私個人の好みもありますが、デザインは思想であり、共感する思想を常に手元に置いておくことは、ぶれない仕事のベンチマークになると考えています。

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